また引っ越しですまた引っ越しです

コラム

また引っ越しです

2019.04.18
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(高橋是清翁記念公園)

4月は転勤や異動の時期ですが、弊社グループも青山一丁目に移ってまいりました。

前回の田町のオフィスは結局3年でした。
今回のオフィスも駅から徒歩1-2分圏内ですので、アクセスは楽かと思います。一度遊びにお越しください。

 

前回の引っ越しの時には、近所に薩摩藩邸があったため、西郷翁のことについて書きましたが、今回は高橋是清について簡単にご紹介しようかと思っております。

と申しますのも、オフィスの近くに高橋是清翁記念公園(邸宅があった場所)があるという単純な理由です。

 

(高橋是清, 1854 – 1936)

(高橋是清, 1854 – 1936)

この方はまさに波瀾万丈の人生でした。

1854年寛永時代の生まれなのですが、お母様が丁稚奉公先の主人に手籠めにされ私生児として生まれたため、世間体を憚って仙台藩の足軽の高橋寛治の養子として育てられました。

ヘボン塾(明治学院やフェリス女学院の祖)で英語や医学を学んだのを機に藩命でアメリカに留学できたまでは良かったのですが、ホームステイ先の家主に騙され奴隷のような生活をさせられていましたが、明治維新の事実を知り、機転を利かせてどうにかこうにか帰国してきます。

帰国後は、文部省に入省したのを機に教育の道に入り、共立学校(現開成中・高)で、正岡子規や秋山真之(日露戦争時の海軍の名参謀)を教えました。

その後は官僚としてキャリアを積んでいたのですが、ペルーで銀鉱山の開発の儲け話に乗って騙されて一文なしになり帰国した際に、知人の紹介で1892年日本銀行に入行。

そして、日銀副総裁の地位にあった1904年に日露戦争の戦費調達の命を受け、英国に渡り開戦前の予想が圧倒的不利にあったこともあり、苦戦するのですが、ロス・チャイルド家のアメリカ代理店であったクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフの知遇を受けて、外債で500万ポンド(すいません。現在価値がわかりませんでした。)の調達に成功し、財政面で戦争を支えました。

その後、内閣総理大臣や農商務大臣、特に蔵相を何度も歴任。

1934年の岡田啓介内閣の時に、リフレーション政策の出口を探るべく、軍事予算の縮小を実施したことで、軍部の恨みを買い、1936年二二六事件の際に先ほど紹介した記念公園にあった自宅へ青年将校が押しかけて、凶弾に倒れました(享年82歳)。

 

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(高橋是清邸)

因みに、小金井にある『江戸東京たてもの園』に当時の高橋邸が移築されており、中を見ることができます。
写真のどちらかの部屋で撃たれたと、係員の方が説明されていました。

余談ですが、高橋是清の次女・和喜子(アメリカのジェイコブ・シフの宅にホーム・ステイして3年間留学)は大久保利通の八男・利賢に嫁ぐのですが、その息子・大久保利春がロッキード事件の時に国会の証人喚問に召集されていたのは今でも鮮明に覚えています。

 

高橋是清は不運な目に遭遇しても万事自分の力や周囲の協力で何とか切り抜けてきたこともあり、自分は運が良いと信じて、「機会は決して作るべからず、自然と自分の前に来たところの機会を捉えなければならぬ」という考えであったようです。

転職の決断の際に役にたつかはわかりませんが、ご自身の人生で思い当たる節のある方は参考にされると良いかもしれませんね。

 

4月以降案件は多いのですが、金融機関の懐事情があまり良くないため、即戦力で収益に結び付く、もしくは社内でどうしても手当が付かない人材、火急の欠員などの求人が多く、相変わらず目線は高いという印象です。

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岡田 英行

岡田 英行

専門分野証券

メインのキャリアは大手日系・外資系投資銀行における10年に及ぶ円金利商品の金融法人向けセールス。
その他、リテールセールス、キャピタルマーケット、不動産証券化、ヘッジファンドなど金融における幅広い実務経験を有する。
ご本人にとっての転職の是非を含め最善の道をご提示します。

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