ヤナセとVW~輸入自動車私的今昔物語 Vol 27ヤナセとVW~輸入自動車私的今昔物語 Vol 27

コラム

ヤナセとVW~輸入自動車私的今昔物語 Vol 27

2014.07.11

藤堂 誠 たぶん 一生クルマ屋です

自動車業界を担当する人材コンサルタントです。

私の履歴書・・・の様なもの。 輸入車業界の歴史の一端を語ります。

私がクルマ屋になった1978年。 この時期のヤナセの看板商品といえばメルセデスより寧ろフォルクスワーゲン(VW)。

入社の頃は、丁度あの「ビートル」から「ゴルフ」への転換の時期でした。

当時、主力モデルのコンセプトをここまで正反対にしてしまう英断に驚いたものです。

丸型に対して箱型。

後輪駆動が前輪駆動。

リアエンジンがフロントエンジン。

beetle golf
前述の通り、私の入社時はちょうど端境期。末期のビートルと初期のゴルフが併存していた頃。 会社の古手社員にはビートルの生産が終了した後のVWビジネスに危惧を頂いていた人も少なくありませんでした。

ところが豈図らんや「ゴルフ」というモデルの評価が高く、某自動車評論誌での絶賛も影響したものか、一躍輸入車のトップセラーモデルに躍り出ます。

高価格帯にあるメルセデスは貴重な収益源ではありますが、販売会社の知名度を高め、広く浸透させるには、なんといっても数が必要。

その数を稼いでくれていたのがVWブランド。そして「ビートル」であり「ゴルフ」でした。

主力モデルの変更がビジネスを失速させる事もなく、寧ろ勢いをつけて右肩上がり。

バブル期には高額ブランドが躍進をしましたが、VWも順調に数を増やしていきます。

「ゴルフ」の派生モデルもそれぞれ人気を博していましたし、兄弟ブランドのアウディ人気も高まってきた

・・・その矢先、1992年12月末を以てそのVWの取扱いを中止というニュースが舞い込みます!

そのニュースにお客様が、業界が、ライバル会社が、そして・・・誰より社員が驚愕しました。

そりゃ驚くでしょう。一番の主力商品の販売権をあっさりと放棄した訳ですから。

青天の霹靂とは正にこの事です。

1983年という早い段階でメーカーの日本子会社(「フォルクスワーゲン株式会社」)が設立されましたが、飽く迄も情報収集や企業広報等が目的で輸入販売実務は行わない会社でした。

それが社名を「フォルクスワーゲン・アウディ日本(VAN)」と変えて自ら輸入権を取得したのが1990年。 

そしてヤナセも同じく輸入権を持つという、変則体制が2年続いた後の決定でした。

VWが輸入権の一本化を目指し、ヤナセの輸入権停止を申し出たのは想像に難くありません。

メルセデスの場合、輸入権の移管にあたり、輸入関連業務を一部業務受託、ネットワークとしての一体化、他販売チャネルの創設などの交渉を悉く有利に運び、最後の合弁販売会社構想だけは破談となったものの、小売り販売権は従来通りという、名を捨てて実を取る道を選びました。

VWとの間は何があったのか? 担当ブランドが違う私には詳しい事は分りません。

輸入権のみならず、販売権も同時に放棄する、という世紀の決断がなされた訳です。

メルセデスの強い都会はまだしも、地方の販売店にとってVWを失う事は致命傷になりかねません。

昭和20年代後半、日本に紹介し、40年近く日本におけるVWブランドを守り続けてきたという販売店としての自尊心を傷つける何かがあったのでしょう。

公平に見て、VW社はまずい交渉をしたのだと確信しています。

この事は両社にとって非常に大きなダメージを受けましたが、すぐに次の展開が始まります。

いや、この次の手が用意されていたからこそ、双方、喧嘩別れができたのかもしれません。

VWはトヨタとの協業による新しい販売チャネルが急ピッチで整備されていきました。

ヤナセはGMとの連携を深め、別のブランドの取扱いを開始します。

当時GM傘下にあったドイツのアダムオペル社製オペル車です。